昭和の想ひで 五 保育園のこと

つくし保育園は府営瓜破西住宅から北に1.5kmほどのところに、僕が通っていた当時のままの姿で現在もある。本当に当時の建物かと思われ、いい加減リニューアルした方が良いのではないかと余計な心配をこちらがしてしまうほどである。

僕はこのつくし保育園に年中さんから年長さんになる前まで通っていた。年長さんになるときに瓜破北小学校の目の前にある瓜破北幼稚園に変わった。はずである。あまり正確なことは記憶にないのだが、僕の経歴など正確にしたところで無価値なので調べていない。

“昭和の想ひで 五 保育園のこと” の続きを読む

昭和の想ひで 四 パン町のこと

26棟タテ割りガキンチョ集団が自然消滅的解散の憂き目にあってから、僕はひとつ年上のひろくんと一緒に遊ぶことが多かった。ひろくんはすごく面白くて、二人でそれはそれはくだらない遊びを考え出しては飽きずに楽しんでいた。
雨上がりの水たまりがいっぱいの中央公園で座り込んで、ワンフレーズだけの変なオリジナルソングを繰り返し歌いながら、ずーっと泥をこね回していたこともあった。今だにそのしょーもない歌を覚えている。

小学校低学年の児童にとっては大きな道路を越えて、しかも学校の校区外に行くことは結構な冒険だ。そんな冒険をしたことは親には言ってはいけない。どうせ叱られるに決まっているし、下手をすると今後の自由な活動に影響を与える羽目になるかもしれない。冒険=秘密なのである。

“昭和の想ひで 四 パン町のこと” の続きを読む

昭和の想ひで 三 給水塔のこと

近年ネット上でよく給水塔の写真を見る。団地育ちの僕もやはり給水塔が大好きで、給水塔を見ると懐かしい気持ちになる。

だがしかし、給水塔を写真に撮ってコレクションする気持ちは湧かない。そもそもどの給水塔を見てもしっくりこない。それはきっと僕の中の給水塔ではないからだと思う。

給水塔は僕らの遊び場だった。タカオニをしたり、様々なコレクションを披露したり、ダラダラと過ごす休憩所のようなところでもあった。そしてなぜか僕らの間ではポコペンは給水塔でやると決まっていた。

“昭和の想ひで 三 給水塔のこと” の続きを読む

昭和の想いで 二 たかちゃんのこと

府営瓜破西住宅は70数棟を抱える大きな団地群である。団地群内に公園3個と給水塔2基を持つ。様々な形の団地があり、列に対し各階二戸をアプローチとする標準的なタイプから、建物の両端に階段を持ち各戸へのアプローチは廊下から行うタイプ、星形などである。階数も3階建て4階建て5階建てと様々であった。

26棟は中央公園の前にある標準的なタイプの棟である。4列各階2戸ずつの5階建で40世帯が暮らしている。ほとんどの世帯に子どもがおり、自然発生的に年齢を超えた遊び集団ができる。自分がどのようにしてその集団に属したのか記憶にはない。自動的に組み込まれたこの集団で遊ぶのが日課である。鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴り、野球、泥遊び、ビー玉、ベッタン、靴隠し、壁当て、スーパーカー消しゴムからウルトラマンカード収集まで、すべてはこの集団の中で協力し競い合う。

“昭和の想いで 二 たかちゃんのこと” の続きを読む