26棟タテ割りガキンチョ集団が自然消滅的解散の憂き目にあってから、僕はひとつ年上のひろくんと一緒に遊ぶことが多かった。ひろくんはすごく面白くて、二人でそれはそれはくだらない遊びを考え出しては飽きずに楽しんでいた。
雨上がりの水たまりがいっぱいの中央公園で座り込んで、ワンフレーズだけの変なオリジナルソングを繰り返し歌いながら、ずーっと泥をこね回していたこともあった。今だにそのしょーもない歌を覚えている。
小学校低学年の児童にとっては大きな道路を越えて、しかも学校の校区外に行くことは結構な冒険だ。そんな冒険をしたことは親には言ってはいけない。どうせ叱られるに決まっているし、下手をすると今後の自由な活動に影響を与える羽目になるかもしれない。冒険=秘密なのである。
その日僕とひろくんは自転車に乗って遊んでいた。常日頃から団地内は走り回っているし、もちろん知り尽くしている。もう飽き飽きしていた。中央公園で遊び、西公園に行き、東公園へも行ったがやはり何かが足りなかった。
やがて団地エリア北側に隣接している通称「赤土公園」へ寄りつつ、その脇の細道を北に抜けて長居公園通りに出た。通りを東に向かって進む。東側に行けばジャスコがある。親に連れられて行くのが楽しみなジャスコ。おもちゃ売り場のフロアがあるジャスコ。4階の寿がきやでソフトクリームが売っているジャスコ。大好きなジャスコの方向に足を進めるのは当然だった。
大きな道路を越えてあと1ブロック進んで道路を渡ればジャスコという時に僕らは、長居公園通りを渡った向こう側に「僕らのとは違うタイプの給水塔」を見た。給水塔は楽しく遊べる場所である。形は違うがその先端が向こう側すぐそこに見えている。行くしかない。僕とひろくんは長居公園通りの信号を渡った。
道路の向こう側から見ている時には給水塔の先端しか見えていなかったが、そこは僕らの団地とは違う団地だった。そして給水塔はフェンスで囲まれていた。給水塔で遊べない。仕方なく僕とひろくんは、「僕らのじゃない団地」内をウロウロとした。遠目に見ると似ている団地も僕らの知り尽くしている団地とはまったく違っていた。
そこには用水路が流れていた。子どもでも簡単に跨げてしまうほどの細いものだったが、その見た目はまるで田舎を流れる川のように、草に覆われたちょっとした土手があった。その土手に登りやすい大きな木があって、僕とひろくんは二人して登って、枝に沿って寝転んでみたり、木の上から僕らのじゃない団地の眺望を楽しんだりした。
物珍しさも手伝ってか結構長い時間そこで過ごしていたように思う。その日帰ったのは日も沈む頃だった。26棟の前でひろくんと別れる時に、今日パン町で遊んだことは秘密にすることを誓った。あの木の上で僕とひろくんは、この「僕らのじゃない団地」のことを「パン町」と名付けたのだった。
それから何度もパン町に行って遊んだ。いつもひろくんと一緒に行って、いつもあの木に登ることは決まっていた。給水塔では遊べないから。
一度だけひとりでパン町に行って見たことがある。ひとりで行ってみるとパン町はパン町ではなくて、ただの僕の知らない団地だった。
パン町がなぜ「パン町」になったのかはわからない。たぶんいまひろくんに聞いてみてもわからないと思う。僕らが最初に目指していたジャスコは今もイオンとして同じ場所にある。パン町は正式には喜連団地という名称でやはり今も存在するが、僕らが気に入って過ごした用水路も登りやすい木も、もうとうになくなってしまっている。遠い昔の只の想ひで話である。